7月25日にスペインの名門サッカークラブ、レアル・マドリッドが日本のヴェルディ1969と対戦し0−3と大敗を喫した。あろうことかジダン、ベッカム、ロナウドといった超スーパースター選手を集めた世界的なクラブが、日本のJ1でも低迷しているクラブに負けたのだ。しかも、無得点で。長旅の疲れもあるのは否定できないが、あまりにも無様な負け方であり、プロとしては恥ずかしい限りだ。
しかし、問題なのは、レアルがその名にふさわしい試合をしなかったことだけではなく、試合に関して大きな国際的騒動が持ち上がってしまったことだ。ベッカムが日本の戸田選手に唾を吐きかけられたとして怒り、ハーフタイム中に日本のロッカー・ルームに押しかけ戸田本人に詰め寄り突き飛ばしたらしい。そして、真実かどうかの検証を待たずして、戸田の「唾はき」は、海外、特にイギリスのメディアで大きく取り上げられ非難されることになってしまった。日本国内の試合であれば、サッカーの試合には起こりがちなこととだけで終わるかもしれないが、国際的なスポーツのサッカーではそうはいかない。ここには様々な問題が含まれている。
まず「唾はき」というのは西欧においては、かつて刑場に行く罪人に浴びせかけていたようなもので、もっともひどい侮辱行為以外のなにものでもない。それだけに、「唾をはかれる」というのは最低の屈辱ということになる。たとえ接触が多く、激しやすいスポーツ競技であっても、相手選手に「唾をはかれる」ことは、到底我慢ならないことなのである。イギリスでもサッカーの試合がテレビ中継されるようになり、カメラで選手たちが試合中口にたまった唾液をピッチに吐く姿がしばしばカメラに写り、道徳的によくないと非難されたことがあった。それが人間相手に吐いたということであれば、バッシングは避けられない。誰か忘れたが、ヨーロッパでもかつて実際にバッシングを受けて1ヶ月以上試合にも出れなくなってしまった選手もいたと記憶している。
だが、戸田本人は唾は吐いていないし、ビデオにもそれらしいシーンはない。多分、横を向いてピッチに唾を吐いたのがベッカムにかかったのかもしれない。それでもベッカムやロナウドがロッカールームにまで行って戸田に詰め寄ったのには、おそらくそれ以外でも何か怒る理由があったように想像する。戸田は熱血なところがあり、激しやすい。イングランドのトットナムに在籍していたときにも、その激しやすさがプレーにも表れ、どちらかといえば「汚い」(dirty)な選手という印象を与えてしまっていた。それは何かにつけ国際的な場面ではマイナス要因に働くことがある。今回も試合中審判の見ていないところでベッカムの足を蹴ったという説も持ち上がっている。確かにサッカーはボールを使った格闘技であるし、ある程度の身体的・感情的な衝突は避けられないが、スポーツである限り一定のルールとマナーを守る必要がある。どこかで戸田がそのルールとマナーの一線を越えていなかっただろうか?だとすれば、「汚い」という印象を与えてしまっている戸田本人にも反省すべきところはあろう。
といっても、イングランドの選手たちが皆「きれい」(clean)というわけでもない。イギリスは紳士の国であり、感情を表に出すことを美徳としないというのは一面では真実であっても、ことサッカー(football)の試合を見る限り正しいとは言い切れない。第一、日本ではまるで王子様かなにかのように「ベッカム様」と仰がれているベッカム自身、マンチェスター・ユナイテッドでプレーしていた最初の頃は決して「きれい」ともいえなかった。確かに技術力も能力もずば抜けていたが、傲慢さがときにプレーにも出ていた。1998年のワールドカップでのアルジェンチン戦では、相手選手を転んでうつ伏せになったまま足でひっかけて一発退場を受け、結局一人欠けたイングランドは敗北せざるをえなかったことがある。帰国したベッカムを待ち受けていたのは社会全体のブーイングであった。ブレアー首相までもが彼の行為を卑劣として批判していた。彼がそれなりの責任感をもった選手に変わったのは2000年にイングランドの主将をエリクソン監督から指名されてからといえよう。
今回のベッカムの怒りは、暑さと疲れのために思うように試合が出来なかった不満と、何らかの形で彼が戸田から受けたと思った侮辱の両方が作用しているであろう。最大の問題は、それを大きくとりあげたイギリスのメディアのあり方とそれに対する日本の対応かもしれない。イギリスのメディアは他国の優れたものに対して意図的に批判する傾向がある。つまり自国のものが一番だと見せることが多いのだ。本来であればレアルが0−3で日本の弱小チームに負けたとなれば、一種のスキャンダルにもなりえるが、イギリスのメディアはこの負けたことよりもベッカムが屈辱を受けたということを証拠もなく書きたてた。ベッカムが所属する名門クラブ惨敗という恥を別の形で隠そうとしていると見えなくもない。一方、戸田に対する評判というのが必ずしもイングランドのサッカー関係者の中でよくなかったというのも悪い方向に作用しているのも事実である。
それでも、日本の関係者やメディアの対応も弱腰だった印象がある。もう少し弁明に努めてもよかったはずである。結局イギリスのメディアに言われたい放題言われてしまった。きちんと対応することでもう少し穏当に収束させることができたはずである。マナーやルールは国や社会によって大きく違うわけだが、サッカーのような国際競技においてマナーや文化が違うから、というのは言い訳にはならない。悪いものは悪いのである。同じ土俵の上で考えなくてはいけない。だが、一方で主張すべきときも、同じ立場に立っていいのである。日本人的に謙虚にひく必要はなく、同等に主張していい。レアルに勝ったことをなぜか日本のメディアはそれほど大きく取り上げなかった。何か子供が大それたことをしてしまったかのような感じで受け止めている印象がある。率直に無様な試合をしたレアルを批判してもいいと思う。
サッカーは外交でもある。マナー違反が外交問題にもなるし、また国全体のイメージを作ったり、変えたりもする。それをどうメディアが対応していくかで、さらに問題が複雑になったりもする。スポーツは決して競技して勝った、負けたと言っていればいいものでもなく、裏には常に微妙に、しかし極めて熾烈な政治的力関係が作用していることを忘れてはならない。