イーヴリン・ウォー(Evelyn Waugh)の小説の一つに『一握の塵』(A Handful of Dust, 1934)がある。ヴィクトリア朝時代に建てられたカントリー・ハウスに住んでいたトニーが妻のブレンダに浮気され、別居することになる。その憂さ晴らしに友人とともにアマゾン奥地にある秘境の都市を目指して探険に出かけていくのだが、そこでは過酷な運命が彼を待ち受けていた。熱病にかかり、看護するはずの友人も水難事故で死んでしまう。意識蒙籠としたままかろうじて原住民の集落にたどり着いてホッとしたのもつかの間、そこを支配していた文盲の白人トッド氏の捕虜になってしまうのだ。彼のたくらみによって帰国の望みを絶たれ、イギリスでも死亡したことになってしまったトニーは、一生ジャングルの中で彼のためにディケンズの小説を毎日朗読させられることになる。
なんとも突飛な挿話に思われるが、実は笑い話ではなく、当時のアマゾン探険の実態をウォー流のブラック・ユーモアを織りまぜて映し出した筋書きである。デイヴィッド・グラン『失われた都市Z』(David
Grann, The Lost City of Z, 2009)を読むとそれが確信できる。
アマゾンはこの時代にあって未知の領域(terra incognito)であり、それを克服すべく足を踏み入れた探検家たちの多くが行方不明のまま消え失せていた。とりわけパーシー・ハリソン・フォーセット大佐(Colonel
Percy Harrison Fawcett)が1925年にアマゾンで失踪した事件は、世界中の人びとを驚愕させた。過去に多くの困難を乗り越え、地球上の人跡未踏の土地を明らかにしてきた著名な探検家フォーセットが、アマゾンの奥地に行ったまま帰還しなかったことは、さまざまな憶測を呼び、伝説化されていくことになる。
フォーセットは、『一握の塵』ばかりではなく、彼の友人でもあったアーサー・コナン・ドイル(Arthur Conan Doyle)の『失われた世界』(The Lost World, 1912)やそれを下敷きにした恐竜映画『ジェラシック・パーク』にもインスピレーションを提供しているし、さらには映画『インディ・ジョーンズ〜失われたアーク』の成功に乗じて書かれた小説『インディアナ・ジョーンズと七つのヴェール』(Indiana Jones and the Seven Veils, 1991)では、主人公ジョーンズがなんとフォーセットをアマゾン奥地にある伝説の都市から救済することになってしまっている。つまり、フォーセットは未開の土地と文明界を往復し、最後はアマゾンという異界へと消えてしまった探険家の聖像(アイコン)なのである。『失われた都市Z』を読むと、あらためてフォーセットが歩んだ軌跡と偉業に驚嘆する。
パーシー・ハリソン・フォーセットは19世紀末から失踪する1925年にかけて名声を馳せた陸軍軍人兼探険家である。1888年、彼がまだ21歳の中尉としてセイロンに駐在しているおりに、彼は秘宝探しの探険を試み、探険家として目覚めることになる。1900年に王立地理協会(Royal Geographical Society)で地図作成の訓練を受けて探険家としての公式な資格を手にすると、その素質と大胆不敵かつ沈着冷静な性向を見込まれてすぐにモロッコにスパイとして派遣される。探険家や地図作成のための測量士はスパイ活動をする肩書きとしてはうってつけであり、当時は広範囲に測量器具を片手にスパイが跳梁跋扈していた。
1906年にイギリスに戻った帰国したフォーセットは、すぐに王立地理協会に呼び出される。そこで彼を待っていたのは新しく会長に就任したサー・ジョージ・トブマン・ゴールディ(Sir
George Taubman Goldie)であった。フォーセットのモロッコでの仕事ぶりに目を留めたゴールディは、真ん中が空白になったままの南アメリカ大陸の地図を彼に示した。誰かがアマゾンの奥深くに分け入って、この地図の空白地帯を埋めなくてはならない。その大役をフォーセットに依頼したのである。
とはいえ、アマゾンの奥地は地図も道もない「緑の地獄」(Green Hell)と呼ばれる場所である。大きな鉈で木を切り倒して前に進みつつ、測量をする必要があるだけではなく、蚊や吸血蝙蝠、アナコンダのような巨大な爬虫類と常に遭遇し、マラリアなどの熱病や栄養失調と戦い、さらにはまったく文化や習慣がわからない秘境の住人であるインディアンたちと食うか食われるかの対面もしなくてはならない。つまりアマゾンを探険することは死出の旅路にもなりうるのだ。それでも、フォーセットは自分の宿命として即座に「諾」と答えた。
その第一回目のアマゾン探険は数多くの苦難に見舞われながらも成功裡に終わる。フォーセットは早朝から夕方までほとんど休むことなく毎日20〜30マイルもの距離を歩き続けた。「苦境なんぞくそくらえ」(Nec Aspera Terrent)を家訓にしていた彼ならではの軍隊式探検である。しかしながら、戦闘を嫌った彼は、インディアンたちと遭遇した場合は丸腰で両手を挙げて敵意がないことを示し、贈答品の交換などを通して友好的な関係を築くことを原則としていた。同時代のアメリカ人探険家アレクサンダー・ハミルトン・ライスが、無尽蔵の資産を投資して100人を超える部隊を編成し、無線機や飛行機まで投入してアマゾン探険に繰り出していったことを考えると、常に少人数かつ最小限の装備で行われたフォーセットの探険はきわめて原始的なものであり、彼一人の能力と素質、そして体力に負っていたことがわかる。ブラジルとボリヴィアの境界を明らかにしたこの探検は、2年余もかかる予定であったが、フォーセットはそれを1年足らずでやりのけてしまった。
その後も家に落ち着くことなく、妻と子供を置き去りにするようにして、フォーセットは次々に南アメリカを中心にして探検に出かけ、地図を塗り替えていく。 |


|

 |
ところが彼の軍隊式探検は1911年暮れにはじまったアマゾン探検で問題を引き起こしてしまった。南極観測で功を成したジェイムズ・マリー(James
Murray)とともにアマゾンの奥地に向かったのであるが、彼との間で確執が起こり、スキャンダルに発展してしまったのだ。アマゾン探検と南極観測では求められるものがまったく異なる。南極観測に必要なのは極寒で辛抱強くじっと耐え、緻密に観測をし続ける不動の忍耐力が求められるのに対し、アマゾンでは30キロ近い荷物を背負い、酷暑のジャングルの中を動き続ける体力が必要なのだ。マレーはフォーセットのスピードと厳しい食糧規則についていけず、行軍に遅れるばかりではなく、フォーセットと反目することになってしまった。あげくの果てにマレーの体の一部が壊死してしまったため、フォーセットは迂回して近くの村落に彼を預け、置き去りにするようにして再びジャングルの奥地へと歩みを進めたのである。奇跡的に回復したマレーは、帰国後フォーセットの処置を非人道的行為として糾弾した。
第一次世界大戦がはじまり軍人としてフォーセットは前線で戦うことになるが、彼の頭の中は戦功のことよりも、再びジャングルに向かうことでいっぱいであった。というのも、このころ資産家のライスが、アマゾン奥地の航空写真撮影に成功し、地理学上の大きな功績者として称賛の的となっていたからだ。資産のないフォーセットは、その間、ドイツ軍の砲撃が降り注ぐ塹壕の中でひたすら泥水にまみれたままひたすらじっと我慢し続けることしかできなかった。
大戦が終了したとき、フォーセットの脳裏には、エルドラードの神話に彩られたアマゾンの秘境が実在の都市として輝きを増していた。さまざま資料をあたり、その存在を確信した彼はその失われた都市をZと名づけ、その発見に全力を注ぐことになる。世間の注目を浴び続けるライスに勝つためには、Zの発見がなんとしても必要であった。アメリカの新聞社等からの資金を得たフォーセットは、1925年、息子のジャックと彼の友人ラリーを連れ、Zを目指して未開のアマゾン奥地へと向かう。そして、デッド・ホース・キャンプでの滞在を最後にして、彼らは永遠に文明界から姿を消してしまった。
|
|
フォーセットの伝説化はそこからはじまる。これまで数々の苦難を乗り越えて生還を果たした軍人探検家が、失踪してしまうことは人々にとってにわかには信じがたいことであった。インディアンたちによって殺された、あるいは捕虜としてとらえられたという説が有力ななか、Zに辿りついた後、世捨て人のようにそこに住み続けているのではないかという憶測さえ飛び交うことになる。『インディアナ・ジョーンズと七つのヴェール』では、フォーセットは実際にZに居住していることになっている。いずれにせよ、フォーセットの勇気と謎の失踪は、人々の心をとらえ、ジョージ・M・ダイオットらをはじめとする何人もの人々が彼の後を追って、アマゾンの緑の地獄へ向かい、そのほとんどが帰らぬ人となっていった。
彼の失踪は歴史的神秘と言えようが、妻のニーナや家族にとっては悲劇でもあった。グランは、これまで親族だけしか目にすることを許されなかった資料をもとにして、王立地理協会から隠されていたフォーセットの足跡をつきとめ、自らアマゾンの奥地へと向かう。フォーセットの軌跡をたどることで、彼の存在意義をも再確認しようとしているのである。残念なことにグランの本は伝記としては欠陥が多い。自分の冒険まで語りすぎる嫌いがあるし、歴史資料の扱いについても粗雑さが目立つ。地図も掲載していないのはフォーセットの足跡を目で確かめようとする読者には不親切であろう。しかし、アマゾンのブラックホールに消えていった歴史上の人物を再度掘り起こすことで、アマゾン探検の歴史的意義と同時に神話化されていったその文学的意義をも問いただす素材は豊かに提供していよう。 |
|