© 2005-6 Kaz Oishi

現代イギリスこぼれ話
No.9

鳴曲アルバム

 先日サントリー・ホールにエフゲニー・キーシン(Evgeny Kissin)のピアノ・リサイタルを聴きに行った。演目はベートーベンのピアノ・ソナタ3番と26番、そしてショパンのスケルツォ第1番から4番までである。といっても別にキーシンのファンでもないし、クラシック通でもない。妻がロンドンの音楽学校に行っている頃から友人を介した顔見知りでもあるから行くというのでつき合ったまでだ。実際のところショパンのスケルツォは知っているが、ベートーベンの2曲は聞いたことさえない有様だ。元来あまりウンチクを垂れる音楽通が大嫌いなので、自分は絶対にウンチクについては一切覚えないようにしているからよけいに始末が悪い。素人の耳で聞いても面白いものは面白いし、聞き苦しいのはダメなものだと腹を決めて音楽をいつも聴いている。

 技術の高さでは右に出るものがない天才キーシンだけに、彼の演奏のレベルの高さには舌を巻く。だが、彼のベートーベンの響きは、ラフマニノフやプロコフィエフなど彼の母国の作曲家の曲やリストを弾く時とは少し違う気がする。日本でキーシンによるロシアの作曲家の協奏曲を聞いてみたい気もする。ロンドン交響楽団と一緒にやった素晴らしい公演を聴いたこともあるが、残念ながら日本ではキーシンはソロ公演しかしない。一緒に協奏曲を演奏できる楽団はないということだろうか。そんなことを考えるのは所詮素人の妄想なのかもしれない。
 天才ピアニストとして14歳でデビューしてから20年ほどの歳月が経つキーシンだが、今ではロンドンに在住しながら世界中でコンサートを開き、チケットはいつでもほぼ完売する売れっ子である。もとより人気は高いが、売れれば売れるほどメディアの扱い方も変わるし、皆の見る目も変わる。
 かつてオックスフォードの先生がメディアの怖さについて同じことを言っていたのを思い出す。イアン・ボストリッジ(Ian Bostridgeという素晴らしいテナー歌手がいるが、彼はもともと歴史学でオックスフォード大学の博士号(D.Phil)を取得し本まで出版した秀才だった。だが、その合間にホリウェル音楽堂(Holywell Music Roomという小さな会場で入場料2ポンド(約400円)でリサイタルを開催していたらしい。先生は彼の美声に惚れこんで足繁く通い、プロになってからも何かと面倒をみてやっていたという。いつの間にか超売れっ子になってしまった今でも連絡を取っているが、それでも彼が有名になればなるほどメディアも騒ぎ立てるため自分の特権意識をどこか奪われていくような気がするという。今では彼のコンサートチケットは最低40ポンド(約8,000円)以上するのも忌まわしいと愚痴っていた。
 イギリスを含め西欧には若い音楽家を育てようという環境がかなり整っている。その背景には社会一般のクラッシック音楽(というか芸術・文化)に対する理解の高さがあろう。いい例はBBCプロムズ(PromsクラシックFMClassic FMであろう。
 プロムズ110年以上も前、ヴィクトリア朝時代末期に始められた夏のコンサートであるが、それがいつの間にかイギリス全国の夏の風物詩になってしまった。もちろんBBCが内容の充実とプロモーションに献身的な努力をした結果であるが、ハイドパークの脇にあるロイヤル・アルバート・ホール(Royal Albert Hallだけでなく、地方都市の野外コンサート場でのコンサートをテレビやラジオで全国民が楽しめるのが魅力なのだ。さらに今では各地のコンサート会場がテレビスクリーンでつながっていてどこでもライブでクラシック音楽を楽しむことができる。もちろんコンピューター時代の今日、インターネットでも過去7日間の演目をダウンロードして聴くことまでできる。まさに、いたれり尽くせりである。
 話題づくりにもことかかない。2004年にはアルフレッド・ブレンデル(Alfred Brendel)が最後の生演奏をした。また、毎年のように若くて才能のある音楽家にそうした有名音楽家と共演する舞台を提供したり、今まで省みられなかった無名の音楽家の曲を取り上げたりと斬新な演出もあるのが何よりも素晴らしいし、皆の気持ちを引き寄せるのである。
2003年にウェールズのスワンシー、シングルトン公園での野外コンサートに出演を依頼された若手ハープシコード奏者カーティン・フィンチ(Cartin Finch)はハネムーンを延期してまで出演した。それだけ若手の音楽家にとってはすぐにでも立ってみたい舞台だし、聴衆もそれを温かく待ち望んでいるお祭りなのである。
 ロイヤル・アルバート・ホールでのコンサートも気取りがなく、一階のフロアーは立見席で、ジーンズとTシャツで気楽に一流のコンサートが聴ける。もともとさほどチケットか高額ではないが、今年からは16歳以下の子供たちのための特別安売りチケットも販売され、若い世代の音楽に対する興味を喚起することも忘れない。
 しかし、無料でクラシック音楽を満喫することほどありがたいものはないだろう。BBCでもクラシック番組は年中やっているが、今一番人気が高いのは「クラシックFMClassic FM)」ではないだろうか。十数年前に開局した民放FM局だが、ほぼ一日じゅうクラシック音楽だけを流し続けている。その選曲のセンスとプレゼンテーションが抜群にいい。日本のクラシック番組を視聴すると、この作曲家はどういう人で、この曲はどういう曲でというウンチクが長いし、曲もドイツ系の暗い曲目ばかりで気分がふさいでしまう。クラシックがつまらないものに聴こえ、楽しめない。ところがクラシックFMはまったく違う。曲の説明はほとんどない。次々と美しい曲を流し続けていく。美しいピアノ・ソロ、劇的な交響曲、繊細で物哀しいヴァイオリン協奏曲、そしてムードいっぱいの現代映画音楽という感じで、ジャンルを問わず、作曲家や演奏家を問わず、純粋に音楽をバックグランド・ミュージックとして楽しみながら聴いてもらうために音楽をかけ続けているのである。リスナーのちょっとした投稿エピソードを紹介したり、eメールや留守電を介して家族の誕生日のためのリクエストや恋人へのメッセージ付リクエストがあったりと素人でも楽しめる番組になっている。肩肘の張らない気楽で日常的なコミュニティーがクラシック音楽を通じて構成されているのがいい。聴いていてホロッとする時や、自然と笑みを浮かべてしまう話も多い。そして、その後に流れる音楽には人間の生きた生活の匂いが沁みつくことになるのだ。ディレクターやアナウンサーの解説が番組をつくるのではなく、曲とリスナーが番組を作っているのだ。車を運転している時はもっぱらクラシックFMを聴いていたし、夜7時からのスムース・クラシック(Smooth Classic)は夕食後に本を読む時の必須のBGMだった。クラッシクFMが開局されて以来、イギリスではクラシックを楽しむ人口数が爆発的に増えたが、それはクラシックを日常世界のものとして誰もに親しみやすく提供したからに他ならない。インターネットでも聴けるので、今でもよくオフィスで気分転換にクリック・インしたり、朝MDに録音して車の中で聴いたりしている。ところが先日突然国外からのインターネットアクセスを制限するようになったので困っている。どうやら僕と同じような人間は数多くいてクレームが殺到しているようだ。何とかもとにもどして欲しい。
 この間ロンドンに戻って驚いたのは、衛星放送では映像入りのクラシックFMチャンネルがあって、プロモーション・ビデオを一日中放送し続けていることだ。下手な映画をみるよりはずっと落ち着いていい。実はこれもインターネットでも視聴できる。どこを探しても日本の衛星放送では見つからないチャンネルである。いつか日本にもプロムズクラシックFMができるようなときがあれば、本当の意味で音楽が日常的に理解される成熟した文化国家になるのだろう。メディアの役割は本当に大きいものだと思う。(23/4/2006)

写真はBBCウェブサイトより(一部を除く)

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