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No.12
ゴシック小説のトポス







 ストロベリー・ヒル(Strawberry Hill)は、18世紀の小説家であるホレイス・ウォルポール(Horace Walpole)の邸宅であった場所だ。ロンドンの西トウィッケナムにある。昨年はずいぶんと話題を呼び、各種メディアの注目を浴びた。ヘリティッジ・ファンドから500万ポンドの寄付を獲得し、念願の復元工事に着手することが決まったからだ。
 ウォルポールは、英国初の首相となったホウィッグ党首ロバート・ウォルポールの末子として生まれ、イートン校、ケンブリッジ大学というエリート人生を歩むが、1758年に弱冠31歳でこの大きなストロベリー・ヒルの屋敷を購入する。
 それだけであれば別にこの邸宅を今頃になって復元しなければいけないほどのことはない。ウォルポールにしても、単に富裕な御曹司として一生を終わり、名前を歴史に残すことはなかったはずだ。しかしながら、彼は壮大な奇業を成し遂げた。購入したときには平凡なジョージア朝風の家でしかなかったものを、1797年に死ぬまで50年もの歳月をかけて中世風のゴシック様式の城に改築してしまったのである。奇抜であり、それゆえに偉大な所業といえる。
 さらに、あまりある財産を使って中世の骨董品を買い求め、お城の中に所狭しと陳列していった。その数は数万点に及ぶ。ストロベリー・ヒルを相続した姪のウォルドグレイヴ伯爵夫人が負債整理のためにこの骨董品類を1842年に競売にかけたとき、それは32日間も続いたというのだから、その収集規模は恐るべしである。
 その後紆余曲折を経て、ストロベリー・ヒルは長い間セント・メアリ・コレッジの所有物となっていたのだが、この度ホレイス・ウォルポールの生前の姿に復元することが正式に決定されたのである。それを推進したのは2002年に設立されたストロベリー・ヒル財団だ。復元のためには、現在の所有者であるセント・メアリ・コレッジから邸宅を土地とともに買い上げるだけではなく、それを復元し、将来その状態を維持していくための予算を準備しなくてはならない。この5年間の間に財団はメディアをも巻き込んだ大規模な広報活動を行い、さまざまな方面から寄付を募ってきた。昨年ヘリティッジ・ファンドから500万ポンドを獲得することに成功し、それ以外の機関や匿名個人からの寄付も合わせて復元・維持に十分な総額820万ポンドを集めたのである。
 それだけの資金を投資しても復元する価値があると国民が認めた理由は、ストロベリー・ヒルがホレイス・ウォルポールの書いたゴシック小説『オトラント城』と深い関係をもったトポスだからであろう。『オトラント城』の内容自体は荒唐無稽なほど稚拙なのだが、それがかえってゴシック性の怖さを強調してしまうアイロニーがある。調和と均衡を美徳としていたジョージア朝の文化においてはセンセーションを巻き起こしたことも事実だ。それゆえにイギリスにおけるゴシック小説の父祖として、その後次々に書かれたゴシック小説の起源となったのである。多分にウォルポール個人のゴシック趣味が反映されているだけではなく、時代精神の象徴でもあるのだ。ストロベリー・ヒルを復元したからといってゴシック小説の面白さが倍増するわけではなかろうが、しかしゴシック小説の原点を見直すことで、その裏に横たわっているイギリス18世紀末から19世紀前半にかけての文化背景と精神世界を再確認することができるだろう。
 たとえば、復元プロジェクトに先駆けて行われた緻密な調査の結果、今まで知られていなかったストロベリー・ヒルの構造の詳細が明らかになった。取り寄せて読んでみたアナ・チャルクラフト(Anna Chalcraft)の『ストロベリー・ヒル訪問』(Visiting Strawberry Hill)には、ストロベリー・ヒルにはウォルポールの個人客と一般参観者とでは異なる2種類の案内書があったという新発見について吟味している。それだけ多くの人々がこの擬似中世風のゴシック邸宅に興味を抱き、何をどこまで見ていたのかが解明されただけではなく、現在一般公開されているカントリー・ハウスと同じように、チケットを買ってストロベリー・ヒルに入館した一般参観者の拝観ルートは限定されたものだったのである。
 復元後のストロベリー・ヒルが一般公開されるのは2010年の予定であるが、そのときにはすべての人が同じルートで拝観できることになるであろう。ウォルポールが収集した骨董品も回収・復元できないのは残念なことだが、ゴシック小説のトポスのひとつが蘇ることで、ゴシック文学の見直し、さらには18世紀から19世紀にかけてのゴシック趣味やゴシック建築の歴史的意義が再考されることを期待したい。